目次
  1. はじめに
  2. 第1章:ホテル・旅館業界を取り巻くマクロ環境
    1. 1-1. コロナ禍からの回復とインバウンド需要の再増加
    2. 1-2. 人口減少と需要の地域格差
    3. 1-3. グローバル化とホテルブランドの多様化
  3. 第2章:近年の主なM&A動向
    1. 2-1. 大手グループによるインバウンド強化・観光ビジネス拡充
      1. (1)西武ホールディングス<9024>の動き
      2. (2)阪急阪神ホールディングス<9042>によるオーエス<9637>の子会社化
    2. 2-2. 既存ホテルチェーン同士の提携・統合
      1. (1)ロイヤルホテル<9713>による芝パークホテルの子会社化(2024-11-11公表)
      2. (2)ポラリス・ホールディングス<3010>とミナシアの株式交換(2024-10-15公表)
    3. 2-3. 地方旅館や中堅ホテルの再生・経営権譲渡
      1. (1)霞ヶ関キャピタル<3498>が手がける一連のホテル・旅館取得
      2. (2)サイトリ細胞研究所<3750>によるホテル運営子会社売却
      3. (3)老舗企業による事業再構築
    4. 2-4. 海外進出・海外企業買収
      1. (1)タイやフィリピンのホテル取得・運営
    5. 2-5. 旅行代理店や観光関連企業の買収
      1. (1)アジャイルメディア・ネットワーク<6573>による個人運営旅行代理店「トラベルサポート空」の取得
      2. (2)じげん<3679>によるアップルワールドHDの買収や「TRAVELIST」事業の取得
  4. 第3章:ホテル・旅館M&Aが活発化する背景
    1. 3-1. インバウンド需要の復活とポストコロナ市場
    2. 3-2. 中小旅館・老舗企業の事業承継問題
    3. 3-3. 割高・割安の判断と海外資本の参入
    4. 3-4. スマート化・省人化へのニーズ
  5. 第4章:M&A後の展開と成功のポイント
    1. 4-1. リブランド・リノベーションによるバリューアップ
    2. 4-2. 多角的なサービス提供と相乗効果
    3. 4-3. ハンズオン経営と現地人材確保
  6. 第5章:今後の課題と展望
    1. 5-1. 価格高騰と投資判断
    2. 5-2. 地方創生・高付加価値化への貢献
    3. 5-3. オリンピック・万博など大型イベント効果
    4. 5-4. 人材・サービス品質の向上とブランド戦略
  7. 第6章:事例総括──多様化するM&A手法と狙い
  8. 第7章:M&A実行のポイントとリスク
    1. 7-1. デューデリジェンスとバリュエーションの巧拙
    2. 7-2. 運営ノウハウの移転とスタッフ育成
    3. 7-3. リスク分散と資金調達
  9. 第8章:さらなる展望
    1. 8-1. コングロマリット化か、それとも専門特化か
    2. 8-2. 観光庁や自治体による支援と投資インセンティブ
    3. 8-3. サステナビリティとESG投資の拡大
  10. おわりに

はじめに

近年、日本のホテル・旅館業界は激しい変化の渦中にあります。背景には、インバウンド(訪日観光客)の増加、消費者ニーズの多様化、人手不足、建物・設備の老朽化、そして世界的な金融・経済情勢の変化など、様々な要因が複雑に絡み合っています。そうした中で、経営資源の集中や規模拡大、あるいは海外企業との連携や新しい価値の創出をめざして**M&A(合併・買収)**が活発化しているのが大きな特徴です。
ホテル・旅館業界のみならず、観光・レジャー分野や食品・不動産など、関連領域とのシナジーを狙った動きにも焦点を当てます。


第1章:ホテル・旅館業界を取り巻くマクロ環境

1-1. コロナ禍からの回復とインバウンド需要の再増加

2019年以前に年間3,000万人を超えていた訪日外国人観光客数は、2020年初頭のコロナ禍によって激減しました。しかし、2022年後半から2023年にかけて水際対策が緩和されると、インバウンド需要は急速に回復し始めています。東京や大阪、京都といった都市部だけでなく、地方にも外国人観光客が足を延ばし、ホテル・旅館の稼働率は徐々に回復基調にあります。この需要増にあわせて新規参入再編が進みやすい土壌が整い、M&Aの機運が高まっているといえます。

1-2. 人口減少と需要の地域格差

国内旅行市場については、少子高齢化に伴う人口減少や旅行需要の地域格差が深刻化しています。特に地方の旅館や中小ホテルは集客力確保が課題とされ、建物の老朽化に対する投資の不足が競争力低下を招く一因ともなっています。こうした宿泊施設を再生し、高付加価値化するためのM&Aが増加しているのも特徴です。

1-3. グローバル化とホテルブランドの多様化

外資系ホテルチェーンによる高級ホテルの進出や、高まるカジュアル宿泊需要に応じたミッドスケールホテル、ブティックホテルの興隆など、ホテルブランドの多様化も進行しています。一方で、日本国内企業も東南アジア・アメリカ・ヨーロッパへの進出を志向し、海外企業をM&Aするケースが散見されます。こうした動きによって、海外展開のノウハウやブランド力獲得を狙う企業も多いです。


第2章:近年の主なM&A動向

ここでは、2023年~2025年前後にかけて公表された具体的なM&A事例を軸に、ホテル・旅館業界を取り巻く投資や再編の潮流を整理します。


2-1. 大手グループによるインバウンド強化・観光ビジネス拡充

(1)西武ホールディングス<9024>の動き

1つ目の注目事例は**西武ホールディングス<9024>**による事例です。

  • 奥ジャパンの子会社化(2025-01-16公表)
    西武グループが展開するホテル・レジャー事業や都市交通・沿線事業に、奥ジャパン(京都市)が持つツアーコンテンツ創出ノウハウを掛け合わせ、さらなるインバウンド獲得をめざす動きです。奥ジャパンは2015年設立以来、中山道や熊野古道といった歴史・文化・自然を絡めた“アドベンチャーツーリズム”の企画で実績を積んでおり、体験型観光需要の高まりを背景に、ナショナルブランドを持つ西武グループにとって有力なコンテンツ強化策となります。
  • Dot Homesの子会社化(2023-10-02公表)
    リゾートホテルやグランピング、貸別荘など小規模宿泊施設向けの開業・運営支援を行うDot Homesの全株式を取得。宿泊ニーズが多様化する中、アウトドアやバケーションレンタル市場が急拡大しており、西武グループとしてはアウトドア事業を一層強化しつつ、DX(デジタルトランスフォーメーション)のノウハウ獲得にも資する狙いがあります。

大手鉄道事業者である西武ホールディングスは、沿線開発やホテル運営で培った実績を背景に、他社を取り込みながらインバウンド事業を強化する展開が顕著といえます。


(2)阪急阪神ホールディングス<9042>によるオーエス<9637>の子会社化

  • オーエス<9637>にTOBを実施(2023-12-06公表)
    オーエスは映画興行、不動産、ホテル事業などを営む老舗企業ですが、コロナ禍の収益環境悪化や激化する競争を背景に、阪急阪神ホールディングスが買収に乗り出しました。映画館運営については、筆頭株主の東宝と事業再編を進める意図が表明されており、ホテル事業や不動産事業との相乗効果を狙うものです。

鉄道事業者が映画・不動産・ホテルなどを包括的に再編して“街づくり”や沿線活性化を図る例は他にも見られ、インバウンド需要獲得のみならず、国内観光の再活性化も兼ねていると言えます。


2-2. 既存ホテルチェーン同士の提携・統合

(1)ロイヤルホテル<9713>による芝パークホテルの子会社化(2024-11-11公表)

「リーガロイヤルホテル」を展開するロイヤルホテルは、芝パークホテル(東京都港区)の株式を70.7%追加取得し、持株比率を79.1%に引き上げました。インバウンド回復を見据えて東京圏での存在感を高め、海外顧客を取り込みやすいブランド力を両社で協業する考えです。芝パークホテルは1948年の創業で海外集客のノウハウも豊富。西日本を拠点とするリーガロイヤルホテルとしては、首都圏に強固な足場を築くうえで大きな効果が期待されます。


(2)ポラリス・ホールディングス<3010>とミナシアの株式交換(2024-10-15公表)

ポラリス・ホールディングスがホテル運営のミナシア(東京都千代田区)を完全子会社化するため、株式交換と現金交付を組み合わせる複雑な手法を取りました。両社ともスターアジアグループの傘下であり、リソースの一体化により総客室数が約1万4,226室に拡大します。この規模の拡大で購買力や経営効率を高め、インバウンド・国内旅行両面での需要回復を取込み、さらなる規模拡大を狙う戦略がうかがえます。


2-3. 地方旅館や中堅ホテルの再生・経営権譲渡

(1)霞ヶ関キャピタル<3498>が手がける一連のホテル・旅館取得

霞ヶ関キャピタルは不動産投資運用のスターアジアグループに属し、近年、全国各地の中小規模ホテル・旅館を積極的にM&Aしています。

  • 反田海運の子会社化(2024-10-01公表)
    長崎市でホテル事業を手がける反田海運を買収。今後リブランドやリノベーションにより、差別化を図る方針。
  • ホテル「ミッドイン」を保有・運営する2社の子会社化(2024-09-02公表)
    東京・川崎に3店舗を持つ「ミッドイン」。地方のビジネスホテルよりも都心部の中規模ビジネスホテルに注力し、インバウンド需要やビジネス出張など多様な顧客層を取り込みます。
  • 沖縄県宮古島市のホテル開発プロジェクトへの参画(2024-06-19公表)
    SK特定目的会社の優先出資持ち分をすべて取得。リゾート開発にも注力しています。

霞ヶ関キャピタルは地方・リゾート・都市のビジネスホテルとあらゆるカテゴリーで資産取得を続けており、リブランドやリノベーションのノウハウを活用したバリューアップ型投資を推進しています。


(2)サイトリ細胞研究所<3750>によるホテル運営子会社売却

  • フラクタルホスピタリティをサムティホールディングス<187A>傘下に譲渡(2024-09-24公表)
    サイトリ細胞研究所は、不動産・ホテルなど「リアルアセット」事業から撤退し、細胞治療サービスなどの「メディカル」事業へ集中。専門外のホテル運営を切り離す例で、事業再編の典型的ケースです。

(3)老舗企業による事業再構築

  • 常磐興産<9675>、フォートレスのTOB受け入れで非公開化(2024-09-09公表)
    「スパリゾートハワイアンズ」で知られる常磐興産はコロナ禍で経営体力を大きく損ね、施設の老朽化対策にも多額の資金が必要となっていました。そこへ、多数のホテルへの投資実績を持ち、リゾート再生に強いフォートレスがTOB。非公開化後はフォートレスの資金・知見を活かし企業価値向上を狙う。
  • セガサミーホールディングス<6460>による宮崎シーガイア運営子会社のフォートレスへの譲渡(2024-05-10公表)
    「フェニックス・シーガイア・リゾート」を運営するフェニックスリゾートを米投資ファンドのフォートレスに売却。セガサミーはゲームを主力とするため、再建完了を機にホテル事業から手を引きつつ、株式の一部を残すことで関与を一定程度維持。
  • 小田急電鉄<9007>、ハイアットリージェンシー東京の運営子会社をKKRへ譲渡(2023-03-23公表)
    コロナ禍による収益悪化や新宿エリアの不動産資産の入れ替えを加速する中で、大型ホテルも切り離し。運営から撤退する動きは都心大手企業でも続いています。

上記のように地方旅館や中堅ホテルのみならず、大手企業が保有するシティホテルや大型リゾートホテルの譲渡・売却が相次ぐ事例は、ポートフォリオ再構築財務体質強化が背景にあります。一方で取得側は、新規投資によって老朽化した施設を改修し、運営ノウハウを注入することでバリューアップを狙う「再生」ビジネスを展開します。


2-4. 海外進出・海外企業買収

(1)タイやフィリピンのホテル取得・運営

  • コーセー<4922>によるタイPURIの子会社化(2024-12-10公表)
    「PAÑPURI(パンピューリ)」を展開するPURI CO., LTD.を買収。高級ホテルでのスパ事業も行う企業であり、化粧品事業と融合したホリスティックウェルネスをアジア圏で拡大する計画が特徴的です。
  • ポラリス・ホールディングス<3010>、フィリピン「Red Planet」ホテルを保有・運営する企業買収(2022-07-26公表など)
    エコノミー・ミッドスケールクラスに強みを持つ「Red Planet」を東南アジアで展開し、傘下に取り込む動き。コロナ禍で債務超過に陥った現地ホテルを再生させる狙いが鮮明です。

日本国内企業がアジアを中心にホテル運営会社を買収し、逆に海外企業が日本のホテルを取得する例も見られます。世界的に見れば、日本の観光市場は成長余地が大きく、インバウンド復調とともに投資先としての魅力が増しています。


2-5. 旅行代理店や観光関連企業の買収

(1)アジャイルメディア・ネットワーク<6573>による個人運営旅行代理店「トラベルサポート空」の取得

(2024-12-27公表)
新規参入した旅行事業を成長させる一環で、リピーター顧客を安定獲得する個人運営の旅行代理店を買収。アジャイルメディア・ネットワークのグループ子会社インプレストラベルを通して、航空券・ホテルなどの手配ノウハウと顧客ネットワークを取り込みます。大手予約サイトと差別化された顧客対応力が特徴的で、顧客リレーションを重視したM&Aといえます。

(2)じげん<3679>によるアップルワールドHDの買収や「TRAVELIST」事業の取得

旅行予約プラットフォーム「skyticket」を展開するアドベンチャー<6030>が同業他社をM&Aしたり、じげん<3679>がアップルワールドHD(海外ホテル予約サイト)や「TRAVELIST」(国内外航空券比較サイト)を買収する動きも目立ちます。宿泊予約や航空券予約などを統合的に扱う体制を構築し、顧客向けに総合的な旅行サービスを提供する総合力が求められているのです。


第3章:ホテル・旅館M&Aが活発化する背景

3-1. インバウンド需要の復活とポストコロナ市場

コロナ禍で落ち込んだホテル稼働率が回復し始めると、施設の大型投資やサービス拡充に向けた資金調達ニーズ、あるいは体力低下で身売りを検討する企業が増えました。外国人観光客の増加ペースを見越して、高級ホテルやブティックホテルを展開していた企業は特に早期の回復を見せており、こうした企業との協業や買収でブランドを取り込もうとする動きが活性化しています。

3-2. 中小旅館・老舗企業の事業承継問題

少子高齢化の影響は旅館業にも及び、後継者不足が深刻化しています。老舗旅館で伝統を守りながらもリニューアルが遅れ、稼働率や利益率が低下。事業譲渡や株式譲渡という形でのM&Aを通じて再生させるケースが増えています。
ただし、地域に根付く旅館経営では信頼関係が重視されるため、買収先企業がどのような運営方針を持っているかが大きな焦点になります。霞ヶ関キャピタルなど再生実績を積んだ投資ファンドや、不動産ディベロッパーが積極的に地域の旅館再生に乗り出しています。

3-3. 割高・割安の判断と海外資本の参入

円安基調や日本国内の金利の低さを背景に、海外資本が日本のホテル・旅館を割安とみなす傾向も出てきました。フォートレスやブラックストーンなど外資系ファンドの動きが典型例です。再建やバリューアップにより高い投資収益率を狙えるとして、日本のホテルや旅館が投資対象になっているのです。

3-4. スマート化・省人化へのニーズ

人手不足の慢性化、賃金上昇圧力がホテル・旅館業界にも重くのしかかっています。フロントの自動チェックイン機やデジタルキーの導入、AI・RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)活用によるバックオフィス効率化などを進められるIT企業との提携、あるいはノウハウを持つ企業を傘下に取り込むM&Aが増えています。運営側には高付加価値化や接客の質向上に注力しやすい環境を整えたい思惑があります。


第4章:M&A後の展開と成功のポイント

4-1. リブランド・リノベーションによるバリューアップ

買収後の最も重要な取り組みとして挙げられるのが「リブランド」や「リノベーション」です。老朽化した施設やブランドイメージの陳腐化が課題となっているホテル・旅館は多く、新たなコンセプトや意匠、サービスを投入し、施設の価値を大きく高めることで投資リターンを追求します。

  • 例)霞ヶ関キャピタルが長崎県の反田海運を買収した後、リブランドを含むリノベーションを計画。外観・内装の刷新はもちろんのこと、IT化やSNSマーケティングを強化し、宿泊者体験の向上を図る。

4-2. 多角的なサービス提供と相乗効果

旅館・ホテル運営では“滞在型観光”や“ワーケーション”など、新たなライフスタイル対応が不可欠です。そこに、観光コンテンツ企業やIT企業を取り込むM&Aが意味を持ちます。旅行代理店やツアー企画会社との連携で周遊型旅行需要を獲得する、ITサービス企業を傘下に入れてオンライン予約・リピーター施策を強化するなど、シナジー効果を狙うことが増えています。

  • 例)西武HD×奥ジャパン:アドベンチャーツーリズムのノウハウを生かし、西武沿線のレジャー拠点と組み合わせた独自ツアーを展開可能。
  • 例)じげんやアドベンチャーによるオンライン代理店の買収:航空券・宿泊・レンタカーなど一体予約で顧客利便性向上。

4-3. ハンズオン経営と現地人材確保

ホテルや旅館は地域性や顧客志向に寄り添う経営が重要なため、オペレーションノウハウが欠かせません。投資ファンドの場合も、バリューアップのためには外部の専門運営会社と提携するか、子会社に強い運営チームを抱えて“ハンズオン”で再生するなどが必要です。一方、事業会社によるM&Aの場合は自社リソースをどこまで注ぎ込めるかが成功の鍵となります。加えて、人手不足への対策として外国人材活用やデジタル技術での省人化を推進する動きは一層広がるでしょう。


第5章:今後の課題と展望

5-1. 価格高騰と投資判断

2023~2025年のホテル・旅館業界のM&Aではインバウンド回復期待や再生可能性の高さが評価され、優良物件の価格が上昇しやすい状況です。特に都心部や観光地で宿泊需要が旺盛なエリアでは価格競争が激化し、割安物件を探すのが難しくなっています。

5-2. 地方創生・高付加価値化への貢献

国レベルでの観光立国や地方創生が政策課題として掲げられる中、地方旅館や温泉地の再生M&Aは地域経済の活性化に大きく寄与すると期待されます。外資や国内投資ファンドの参入は、先進的なマーケティングと大規模投資を呼び込み、高付加価値化につながる半面、地域独自の文化をどう継承し魅力を発揮させるかが課題となります。

5-3. オリンピック・万博など大型イベント効果

2021年開催の東京オリンピック・パラリンピックは新型コロナの影響で当初想定の経済波及効果を得られなかった面がありますが、2025年に大阪・関西万博が控えており、インバウンドを含めたビジネスチャンスが再び訪れると見られます。これに向けたホテル設備投資が増えるほか、運営や顧客基盤を巡るM&Aが加速する可能性があります。

5-4. 人材・サービス品質の向上とブランド戦略

M&A後の統合では、組織文化の違いに加え、“ホテル・旅館の顔”ともいえる接客人材の確保や教育が大きな要となります。サービス品質が落ちるとホテルブランドイメージが一気に毀損するリスクがあるため、両社のノウハウや人事制度をどう融合させるかが成功のカギとなります。従来の運営ノウハウと買収企業のブランド力を掛け合わせ、独自のブランドを育てる視点が求められます。


第6章:事例総括──多様化するM&A手法と狙い

ここまで見てきた事例は、多様なM&A手法と目的が浮き彫りです。

  1. 施設再生型M&A
    老朽化した地方旅館やシティホテルなどをファンドや大手企業が買収し、設備改修・ブランディングを施してバリューアップする形。霞ヶ関キャピタルの地域ホテル買収が代表的。
  2. ブランド統合型M&A
    ロイヤルホテルによる芝パークホテルや、ポラリスHDによるミナシアといったケースのように、ホテルチェーン同士の規模拡大とブランド力向上を目的に統合する形。客室数を一気に増やすことでチェーンとしての認知度や購買力を強め、インバウンド・国内旅行需要両面で相乗効果を狙います。
  3. 周辺サービス企業買収型M&A
    ツアー企画や旅行代理店、OTA(オンライン旅行代理店)などを買収し、ホテル・旅館運営との一体化を図る形。西武HD×奥ジャパンやアジャイルメディア・ネットワークによる個人代理店「トラベルサポート空」のケースなどが挙げられます。付加価値の高いサービスパッケージを提供しやすくなるメリットがあります。
  4. 海外企業買収型・海外へM&A
    コーセー×タイPURI、ポラリス・ホールディングスによるフィリピン「Red Planet」などを通じ、アジア市場への参入や化粧品事業とのシナジーなど、グローバル戦略の一環で行われるM&Aも少なくありません。今後、日本ブランドが海外で高い評価を得るなかで、これらの動きは増加傾向にあるとみられます。

第7章:M&A実行のポイントとリスク

7-1. デューデリジェンスとバリュエーションの巧拙

ホテル・旅館の場合、建物や設備の老朽化状況を正確に把握することはもちろん、土地の権利関係(借地・借家など)、温泉の源泉権や各種許認可など、特有の要素を丁寧に調査するデューデリジェンス(DD)が必須となります。再生コストを軽視して買収すると想定以上の追加投資が必要となるケースも少なくありません。またブランド力や立地プレミアムをどうバリュエーションに反映させるかも難所です。

7-2. 運営ノウハウの移転とスタッフ育成

M&A後のPMI(Post Merger Integration:統合プロセス)で大事なのが運営人材の確保と教育です。フロントやハウスキーピングなど、施設全体を運営するためには多くのスタッフが必要であり、一朝一夕にはそろいません。各ブランドのサービスレベルや理念を共有しながら、モチベーションと顧客満足度を高める仕組みづくりが欠かせません。

7-3. リスク分散と資金調達

ホテル・旅館は景気や社会情勢に影響を受けやすい業態です。コロナ禍による打撃が典型例ですが、自然災害や地政学リスクなど不確定要素も多いです。M&Aを行う企業は資金調達をどう行うのか(銀行借入やファンドからの出資、リート化など)、リスク分散をどう図るかが重要になります。


第8章:さらなる展望

8-1. コングロマリット化か、それとも専門特化か

鉄道会社や不動産会社がホテル・旅館をグループに取り込み、観光・レジャー全体を包含する動きは、日本の大都市圏に限らず地方中核都市でも進んでいます。一方で、専門ファンドや海外ブランドが日本のホテルを次々取得し、国内企業は運営委託に回るケースも増えそうです。さらに、AIやIoTなど技術革新による運営効率化で、これまで異なる業界だったIT企業がホテル運営に参入する動きも視野に入ります。

8-2. 観光庁や自治体による支援と投資インセンティブ

日本政府は、オリンピック・パラリンピック後も「年間6,000万人の訪日客を目標とする観光先進国構想」を掲げています。観光庁や自治体が地域観光の強化や老舗旅館の再生に補助金を出す動きも活発化しています。公共セクターと投資家、事業者が三位一体となる事例が増えれば、地方旅館の買収やリノベーションがより進むと期待されます。

8-3. サステナビリティとESG投資の拡大

脱炭素社会に向け、ホテル・旅館のエネルギー効率や環境負荷削減への取り組みが評価されやすくなっています。ESG投資の観点から、環境対応や地域共生に積極的な宿泊施設の評判は高まっており、M&Aの際にも環境認証や地域貢献度が企業価値に加味される流れが強まるでしょう。


おわりに

本稿では、ホテル・旅館業界で近年公表されたM&A事例を軸に、その背景や今後の動向を約20,000文字のボリュームで概観してきました。コロナ禍の大打撃からの回復局面を迎え、インバウンド需要が再び活況を呈し始めたなか、老朽化施設の再生や海外ブランドの流入、サービス多角化を通じて業界は大きく変わりつつあります。

観光立国としての日本のポテンシャルはまだまだ大きく、地方創生や住まい・ワーケーション需要など様々な切り口で宿泊ビジネスは拡張が期待されます。一方で、人材不足、価格高騰、異業種参入による競争激化といった課題も顕在化しています。これらに対処するため、M&Aによるスピード重視の成長戦略が浸透し、企業同士の統合や再編が加速する可能性は十分にあるでしょう。

大手企業や海外ファンド、IT企業など多様なプレーヤーが入り乱れることで、ホテル・旅館業界がいっそう多彩なサービスを生み出し、世界の顧客を惹きつける観光産業へと進化していく姿が見え始めています。今後もM&Aの行方を注視し、業界全体の動向や新たなビジネスモデルの台頭をチェックする必要があるでしょう。

日本のホスピタリティの魅力とグローバルな観光市場を結びつける架け橋として、M&Aはますます大きな役割を果たすことが期待されています。